大学時にバイトを繰り返し、貯金ができたら 海外のサッカーチームのトライアウトに出かける日々を過ごしました。
5ヶ国へ道場破りの様な突撃スタイルで挑戦するもプロ契約出来ず、大学卒業と同時に就職をします。
しかし、海外でプロサッカー選手になる夢を諦めきれず、入社してからも1週間ほどの夏季休暇や年末休暇を利用し、道場破りを繰り返します。
道場(練習場)が見つかるまでに4日ほどかかることが多く、プロ契約など夢のまた夢でした。
それでも何かチャンスが訪れるのではないかと思い、仕事後の深夜に練習を行う日々を過ごしてました。
そんな中、会社のフットサル部の練習中に全治6か月の怪我をしてしまいます。
ある医者からは、「日常生活へは戻れるが、サッカーを全力では2度と出来ないよ」と言われました。
絶望感と共にサッカーが自身の人生の大部分を占めていることが怪我を機に再度実感でき、もし治ったらプロ選手になる夢を追いたいと心に決めました。
その後、理解あるリハビリの先生に出会い、完治を果たします。
完治後、入社し丸3年が経った2008年6月に会社へ叶えたいことがある旨を伝え、1年間休職させてもらえることになりました。
再度の恒例の道場破り開始です。
学生時から通算すると計13ヶ国目の挑戦となった南米ボリビアにて、2008年8月にサンタクルス州の1部リーグに属す「CLUB DEPORTIVO UNIVERSIDAD」というチーム とプロ契約。
しかし、公式戦に出場する機会を掴み取れませんでした。
休職期間であった1年間粘りましたが、沢山の観客が入る公式戦への出場を果たせず約束通り会社へ復職しました。
プロ契約という1つの夢は叶いましたが、大観衆の前でプレーするというもう片方の夢は叶いませんでした。
復職後もハングリーな気持ちを忘れない為、夏季休暇や年末の休暇を利用し、またしても海外のチームへ道場破りを繰り返します。
また、道場破りのみならず、カンボジアやモンゴルのチームへボールを手持ちで持参したり、フィジーの孤児院に日本で集めた古着を寄付するなどの活動も始めました。
ボリビアなどで貧困の現状を実感した為、ただ道場破りに行くだけではなく、何か出来ないかと思ったからです。
16カ国にサッカーで挑戦した異色な経験で得たものを少しでも多くの人に伝えたいと思い、日本サッカー協会の夢先生としての活動や、小・中・高校・企業で夢や諦めないことの大切さを伝える講演を自力で学校などと交渉し行っています。